コラム
2022.02.09
【書籍紹介】『認知症の人が「さっきも言ったでしょ」と言われて怒る理由』
のぞみメモリークリニックの木之下徹先生が書かれた『認知症の人が「さっきも言ったでしょ」と言われて怒る理由』(講談社+α新書)
先生のご講演も含め、これまで数々の認知症の研修を受けてきましたが、この本は現在この国が置かれている現状にあって、最終到達点の一つだと思います。
認知症を避けるべき”病”としてではなく、包摂すべき人のあり様として捉えています。
ー本文より引用ー
願いを叶えてあげたいけれど、でも実質的に「〇〇したら認知症にならない」というものは存在しない。でも、証明されていない「らしい」ものはたくさんある。だったら、それでもいいか、とりあえず、と思うはずです。そして現在ありもしない認知症の予防法の話に花が咲くわけです。
もっともそれだけですめば大きな害はないのでいいのですが、この話はそれで終わりません。たとえばインターネットで認知症に関わる企業広告を見てください。みんなの「認知症にはなりたくない」という願いにこたえるかのように、「この世から認知症を無くしたい」「〇〇は認知症を予防します」などの文字が躍っています。そういう広告を見て、すでに認知症になっている人がどう感じるでしょうか。認知症になってしまえば、自分はその対象者ではないことは明らか。認知症の人は排除の対象ですね。
また、認知症の人向けに、「〇〇すれば認知症が進まない」などという広告もあります。でも現実には認知症であれば認知機能の変化は起こり続けます。この話も同様に、実際の認知症の人は排除の対象です。
認知症の部分を別の言葉、病気やある障害、などと置き換えればわかりやすくなります。たとえば、「『精神障がい者になりたくない』って思うことは否定できないでしょ」と思うのは自由です。でも企業広告に「この世の中から精神障がい(者)をなくしたい」「〇〇は精神障がいを予防します」とあったらどうでしょう。実際に精神障がいと共に、出口のない苦しみのうちに暮らしている人がこの広告を見てどう感じるでしょうか。自分は排除の対象だなあ、と感じるのは当たり前でしょう。いわゆる包摂(障害のある人もない人も全員参加)の社会からは遠ざかります。
ーここまで引用ー
木之下先生は、認知症に「ならない」あるいは「なるのを遅らせる」のは無理だから、認知症に「なってもよい」備えをすべきだし、「進行を遅らせる」のは無理だから、「認知症になっても前向きに生きられる」ためには暮らしにどういう工夫を加えたら良いかなどの方策を提示すべきと言っています。副題にもあるように「5,000人を診てわかったほんとうの話」に基づいた考察と提言は必読です。
社会福祉士 板垣慎司