コラム
2021.05.20
CAREのプロは“思いやり”のプロ
“CARE”を辞書で引くと、「世話、介護」のほかに、「心配、苦労、心痛、注意、配慮、手入れ、保護」などいろいろな訳が出てきますが、日本語には英語の“CARE”を翻訳しようとする時、そのニュアンスを微妙に表現できる言葉がほかにもいくつかあります。
“思い遣る(おもいやる)”
“慮る(おもんばかる)”
“斟酌する(しんしゃくする)”
“遺憾に思う”や、悪い意味で最近話題になった"忖度する"なんかにも、実は“CARE”のニュアンスが含まれているのではないかと思います。
これらは本来どれも、相手の立場に立って相手のことを真剣に考えてみる、という愛のある言葉です。しかし残念な事に、それらの言葉には、その行為と結果において、
“その質を問う”
というプロフェッショナルの視点はあまり含まれていません。
それは当たり前です。日本人にとって“思い遣り”は“質”を問われるものなんかではありません。過程でも結果でもなく、その場面でその人が持つ“心持ち”みたいなものに、みんなは共感したり、感動したり、感謝したりするんです。
この国がここまで高齢化する前、ほんの少し前までは、みんなが“思い遣り”のある人になりたいと思うような社会、それで良かったのです。
しかし、介護が社会全体の課題となった現在において、“CARE”を生業とする私たち専門職には、プロフェッショナルとしての高い専門性と、そのサービスを提供した結果が求められるようになりました。難しいですね。計測やモニタリングでのエビデンスで測れるだけが“CARE ”の仕事ではないのですから。
“思い遣り”が大切。
それはよくわかってます。多くの専門職は“思い遣り”を持って利用者に接し、時には利用者との“思い遣り”の交換も行われたりして、それは尊い場面でもあります。
でも今、社会にとって必要なのは、その“思い遣り”のプロではなく、相手を思い遣れる"CARE"のプロなのです。もちろん多くの皆さんはすでに“思い遣り”のプロではあるでしょうから。
「自分以外の誰かに、自分の“思い”を“遣る”から“思いやり”」
この言葉は、専門性に関わらず大切にしたいです。
社会福祉士 板垣慎司