コラム
2020.11.05
“徘徊”と呼ぶべきではない
認知症の周辺症状によって、外出したものの自分の居場所がわからなくなり、自宅へ戻ることも出来なくなる。その状況を"徘徊"と呼ぶのは不適切だ、という声が上がっています。
確かにこれらの行動を"徘徊"と呼ぶのに違和感を持っていた介護職はこれまでも多かったんだと思います。だって"徘徊"ではないですよね、日本語が意味するところの。
徘徊=目的もなく、うろうろと歩き回ること(大辞林)、どこともなく歩き回ること(広辞苑)
外出したもののどこに行くつもりだったのかがわからなくなってしまい、さて戻ろうとしても道がわからなくなる。その外出にはもともと目的や意味があったにもかかわらず、認知症の周辺症状のためにうまくいかなかった状況です。座学や現場での経験から、それが、どこともなく歩き回っている訳ではないことを私たちは知っています。
「どこ行ってたの!」とか「何やってんのよ!」とは言わず、「それは心細かったですね。」「それは怖い思いをされましたね。」と寄り添うことができる介護職もたくさんいます。
"徘徊"と呼ぶべきではないという提案は、当事者たちからも提言されています。
「私は、散歩という目的で出かけました。途中で道がわからず怖くなりましたが、家に帰らなければと意識していました。これは徘徊ではありません。」
とご本人が不安と苦悩を語っています。
「○○さんは最初はこういう思いで外出されたんです。だけどそのことが自分でもわからなくなってきて、気付いたら見慣れない景色の中で不安になって…だから"徘徊"っていう言い方はおかしいですよ。」と介護職のほうから言い出してもよかったくらいです。。
何か愛のある別の言い方はないでしょうか?
朝日新聞は、記事の中では「外出中に道に迷う」などと表現することにしているそうです。これも良いと思いますが、本人の不安やつらさが伝わリませんよね。
例えば小さい子供が道に迷う「迷子」という言葉には心配になって助けてあげたくなるニュアンスが含まれています。そんな言葉が他にないでしょうか?
いや、何も新しい名称を考えなくても、社会全体の認知症への理解が進んで、地域の中で支えあえる社会にできればいいんです。これからは、ICTを活用するなどして、地域の方も、当事者も巻き込んだ安心して暮らし続けられる地域づくりが必要となってきます。
社会福祉士 板垣慎司